夢見ない夢子は夢を見たい

実際、見てばかりですけどね

時が自分に追いついて

 

中学生の時に担任に言われて、よく覚えている言葉がある。

「いつか時があなたに追いついて、必ず生きるのが楽になる日が来る」
 
これを言われる程度には、思春期の私は生きづらさを抱えて病んでいた。
よく当時からの友人と笑い話で「夢子はギリギリ保健室登校じゃなかった」と言っているけど、あながち間違いではなく。度々よくわからない理由を言って休ませろと言ってくる私を受け入れ続けてくれた保健室の先生にも頭が上がらない。
 
10代の私を苦しめたのは、通っていた学校に蔓延する独特のルッキズムだった。
 
神奈川にある中堅私学の中高一貫校そこは男女別学というシステムを採用していて、学校内に異性の学生はいるものの男女でクラスと校舎が分かれ学校生活が完全に分断されていた。女子校でもなければ共学でもない不思議な環境は、少なくとも私の在学当時は男女の学生がお互いを不自然に意識することだけを助長していて、日常生活で関わることがないがゆえに見た目の印象が独り歩きしやすく異性の生徒の中に一度ついてしまったイメージを覆すことがとても難しかった。
 
そんな世界で、私は結構な有名人だった。同学年だけじゃなく、前後1学年の男子生徒ならば私のことを知らない子の方が珍しかったかもしれない。
理由は胸が大きいから。私の身体は中1の段階で既に大人の女性と変わらない成熟が見えており、6年間で身長は2cmしか伸びなかったのに、身体のラインはどんどん丸みを帯びて胸のカップサイズは5つも上がった。
 
ただでさえ男女がお互いを不自然に意識してしまう環境において、少女らしい華奢な体つきの中に1人明らかに大人の女の身体を持った私はとにかく悪目立ちをしまくっていた。みんなと同じ制服や体操着を着て生きているだけで常に好奇の目にさらされ、身体のことを揶揄され続けた。私が何を考えていて、どんな人間なのかは関係ない。ただ胸が大きくてエロそうだから何を言ってもいい歩くポルノ。完全にホモソーシャルのおもちゃとして扱われた。
しかも実際に生活してサバイブしなくてはならないのは女子コミュニティ。当然女子は私が男子からどのように捉えられているかを知っていその印象に少しでも迎合するような真似をすれば「男に色目を使うビッチ」として学校生活が崩壊することは明らかだった。男子からの謗りを受け続けながら、女子校舎での平穏だけは死守するために「見た目は女臭いけど、頭のネジが飛んでる不思議ちゃん」をオーバーに演じ続けるうちに、自分の本意が自分でも分からなくなっていった。
 
規格外の体型は容姿へのコンプレックスにも直結していく。肌や顔立ちから放たれる若さは10代そのものなのに、身体のラインは大人の女性でチグハグなのが野暮ったい。バストもヒップも90㎝を超える女の子が着られるティーン服も探すのも一苦労だった。痩せたら同級生の皆のように少女らしい身体になれるかもしれないという望みは過食嘔吐を引き起こし、10㎏超の体重の増減を繰り返して身体の健康も失いながら、とにかく必死に学校に通っていた記憶がある。
 
そんな中、6年間のうち4年間担任を受け持ってくれた先生がある日の面談で冒頭の言葉を言ってくれた。
 
「あなたは見た目も中身も皆より大人な部分がたくさんある。今は自分が浮いてしまっているように感じるだろうけど。いつか周りや時があなたに追いついて、必ず生きるのが楽になる日が来る。堂々としていてほしい」
 
当時は本当にそんな日が来るのかよく分からなかった。でもいつかこの言葉が自分を救ってくれる日が来ると信じた。そうやってなんとか6年間を過ごし進学した先の大学では気楽に生活することが出来たし、自分の意思を少しずつ自覚できるようになった。そうやって少しずつ大人になっていき見た目と実年齢が完全に追いついた今、あの言葉を信じてよかったなと思い返すことが増えた。
 
自分自身で好きだと気づいた美容に、そこそこストイックに取り組んできたことも自信につながった。
似合うメイクや服を研究して、肌や髪を美しく保てるようにメンテナンスして。自分の外見の中で好きになれるところを見つけてそれを引き立てるように考えるのが私にとっての装いだし、心を強くしてくれるものの1つだと思う。体型管理はまだまだ苦手だけれど。笑
 
やっと時が自分に追いついた。私は規格外の存在じゃなくサーティークライシスに心揺れるありふれた29歳になった。
 
誰もが羨むキラキラした生活には程遠いけど。仕事も、家族も、友人も、恋愛も。自分の意思で選択してきたと言えるようになった。時には大切なモノや存在を失う痛みも味わうけれど。それすらも、自分のことが何もわからなかったあの頃よりは断然良い。
 
あの時幼い私が未来を信じて守り抜いた自分を、大切にしなくてはならないと今日も思う
 

※私が当時受けていた身体に関する揶揄は、ホモソーシャル特有のノリで起こったがゆえに特定の誰かを告発したところで収まらないであろうこと、また性的なことであったがゆえに大人に相談することが憚られ一人で抱えてしまったという経緯があります。母校の対応や当時謗りに加担した男子学生たち個人を責める意図は全くなく、性的な話題をタブー扱いし異性の身体やその心を思いやる心を育てない日本の性教育が問題だと思っています